2014年06月30日

議 論 の 回 避 で は な い の か

 6月30日、6月定例会議(6月議会)最終日、議論からの回避とも言うべき事態が生じました。
 この日、市民連合をはじめ、民主、共産、無所属等の議員により「集団的自衛権行使容認に関して慎重審議を求める意見書」が議提議案として提案されました。
 民主・大沢議員の提案説明の直後、新政クラブ議員から、同議案を「9月議会への継続審議とする動議」が出され、新政クラブ、公明党等議員の賛成多数により可決しました.このため、集団的自衛権に関して慎重審議を求める意見書の審議は、一切の質疑・討論が行われず、9月議会に先送りされてしまいました。
  議提議案は、解釈改憲による集団的自衛権行使容認の閣議決定に対し、その問題点・疑問点を指摘し、国会・内閣に対し、慎重審議を求めたものですが、差し迫った事態の中で、今議会での審議・議論の機会が奪われ、相模原市議会として議論を回避することになりました。議会活性化の方向にも逆行するのではないかと考え、極めて遺憾に思います。相模原市議会の一員として、今後も粘り強い取組で、真摯・活発な議会議論を目指して取り組みたいと思います。
 私は、議提議案に賛成の討論を予定して原稿を作りましたが、以上の経過で、討論発表の機会を失ってしまいました。集団的自衛権の行使容認に対する批判意見をまとめたものですから、閣議決定を明日に控える中で、安倍政権に強い抗議を込めて、公開します。一地方議員の管見ですが、ご批正いただければ幸いです。
 (予定した討論の原稿)
 市民連合の江成です。議提議案第2号「集団的自衛権行使容認に関して慎重審議を求める意見書」に賛成の立場で、会派を代表して討論を行います。
 今、政府が容認しようとしている集団的自衛権の行使とは、「自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、自国と密接な関係にある国に武力攻撃を行った他の国に対して、武力を行使すること」です。
 仮に我が国が、集団的自衛権の名によってある国に武力を行使すれば、その相手国とは、必然的に、武力を行使し合う関係になり、交戦権のない自衛隊が、殺し・殺される戦場に立たされることになります。しかもその場面は、次々と広がっていく危険性を常に孕んでいます。
 このように、悲惨な戦争に繋がりかねない集団的自衛権の行使容認について、国民的な理解が得られるだけの議論が、政府・与党において、また国会において、十分に行われたと言えるでしょうか。決して十分と言えないことは、最近の世論調査や、昨日報道された一部与党の内部論議の様子などからも明らかです。そして政府・与党の周辺の方々も含め、多くの国民や各界から、様々な疑問や不安、批判や反対の声が上がっています。このまま閣議決定を強行することは、絶対許されません。
 そもそも集団的自衛権は、国連安全保障理事会の承認なしに共同軍事防衛を行うための根拠として、アメリカ等の強い要求によって国連憲章に規定されたものです。集団的自衛権は、正当防衛を根拠とする「個別的自衛権」とは本質的に異なり、我が国の憲法前文、及び第9条の示す平和の理念・規範性と、相容れることはできないものです。
 このことから、これまで歴代政府は、「自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」としてきました。これこそが、憲法第9条に規定される、我が国の安全保障政策の立脚点の筈です。
 にも拘わらず、どうしても集団的自衛権の行使を容認するのであれば、憲法改正による国民の理解・納得・合意という厳正な手続きが必要です。一内閣の解釈変更によって集団的自衛権の行使を容認することは、立憲主義の否定であり、到底許されないことは、多くの憲法学者においても、護憲、改憲の立場を超えた定説になっています。
 また、集団的自衛権の行使について、「限定容認」を強調していますが、「言葉の言い回し」による縛りをいくら強調しても、何らの歯止めにはなり得ません。与党内協議では、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命・自由などが、根底かから覆されるおそれ」の「おそれ」の部分を「明白な危険」に変えたようですが、「明白な危険」かどうかは、時の内閣の判断とされ、しかもその判断によって、集団的自衛権のみならず、安倍首相自ら否定していた「集団安全保障」も含めて、武力の行使を認めようとしています。限定容認が空文化し、海外武力行使が拡大することを、強く危惧するところです。
 また政府は、「集団的自衛権の行使容認は、抑止力になる」として、その必要性を強調していますが、これまでに集団的自衛権の行使とされた事例を見ると、いずれも大国による武力侵攻であったり、武力紛争を悪化・長期化させた例がほとんどです。集団的自衛権が、戦争を抑止した具体例を、私は確認することが出来ません。
 そして、我が国が集団的自衛権を行使するとなれば、周辺国との軍事的緊張、アジア地域の安定の阻害、テロ攻撃の標的化など国民の安心・安全が危殆に瀕する恐れが生じます。集団的自衛権の行使を容認することは、まさに、国民の平和の願いに背くことに他なりません。
 いま、先に結論ありきのなし崩し与党協議で、国民の納得を得ないまま、そして何らの歯止めもなく、海外への武力行使が際限なく広がり、国民が戦争の惨禍に曝される恐れが、増大しようとしています。座視できない状況です。
 先日、6月23日は沖縄慰霊の日であり、激しい地上戦に投げ出された沖縄県民を含む、20万人以上の犠牲者を悼む「沖(おき)縄(なわ)全(ぜん)戦(せん)没(ぼつ)者(しや)追悼式」が行われました。その追悼式で、小学校3年生の増田健琉(たける)君が、平和の詩「空はつながっている」を朗読しました。
 健琉(たける)君は、「遠くの空の下には、戦争をしている国があり、爆弾が落とされ、泣き叫び逃げ惑う人たち、学校にも行けない、友だちにも会えない、家族もばらばらになっている人たちがいること」、また「自分の住む沖縄でも、戦争で死んだり、家族を失った人たちがいること」を知り、平和を願う気持ちを込めて、書いたそうです。瑞々しい感性と豊かな表現で書かれ、朗読にも平和への思いが溢れていました。
  健琉(たける)君はその詩の中で、「白い雲、ぼくの平和の願いをのせてって、この地球をぐるっと回って、青い空に染めてきて、」と呼びかけ、
「きっと世界は手をつなぎ合える、青い空の下で話し合える、笑顔と笑顔でわかり合える、思いやりの心で通じ合える、分け合う心でいたわり合える、平和を願う心で、地球は潤える」と、謳っています。
 子どもたちを、再び戦争の中に置いてはなりません。子どもたちを、いつか戦場に送るような日本であってなりません。平和こそ、子どもたちの夢、希望、未来の根源です。
 我が国は、戦後69年、くり返してはならない戦争の悲惨を教訓に、先駆的に平和国家を築いてきました。このことを財産に、諸外国を含む安全保障の課題については、今後も恒久平和主義、平和的生存権を明示した憲法を軸とし、平和外交と専守防衛によって取り組むべきです。
 以上、集団的自衛権に対しては、これまでの政府見解を堅持し、集団的自衛権の憲法解釈変更と行使容認を行わないよう、また十分な慎重審議を国・政府に強く求め、本議案に対する賛成討論とします。

posted by 江成直士 at 23:04| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。